旅の五(下の巻):1980年 「大塩八幡宮拝殿解体修理工事/武生」
「大塩八幡宮」最終篇は、後日談と、当時の私の「青春回顧(?)」です。
大塩八幡宮拝殿解体修理工事が完了してから私は、長崎県平戸市の幸橋と言う眼鏡橋の解体修理工事の現場に行きました。そしてそこで妻と知り合い、大塩八幡宮拝殿で結婚式を挙げるに至ります。そんな縁もあって、その後も武生へは時折旅行し、当時の友人達に子供達を会わせたりしてきました。そして今年。大塩八幡宮は22年の歳月に柿の痛みも激しくなったことから、柿の葺き替え工事が行われ、私は関わっていないのですが、先月その竣工式に招待され、行って参りました。
宮司さんのチョット甲高い祝詞が懐かしく、真新しくなった屋根も22年前の解体修理工事を思い出させてくれました。その後の友人との飲み会までは少し時間があったので武生の街を歩きました。武生の街も以前とは随分変わって、古い家並みはすっかり新しくなっており、よく行った居酒屋や喫茶店もまったく違うお店になっていたりしました。しかし、老舗のお菓子屋さんや蕎麦屋さんが以前のままだったりすると、やはり懐かしさがこみ上げてきました。友人達との飲み会は昔と少しも変わらず、今日久しぶりに飲もうかって感じで、酒を酌み交わしながら話をしていると、そのままタイムスリップしてしまったような錯覚にとらわれました。
彼らと知り合ったのは、武生に赴任して3.4ヶ月した頃。大工の小倉さんに紹介されて、私は武生市勤労青少年ホームの茶道教室に入りました。ホームではその他にいくつもの教室やサークルで私と同じ年代の若者達が活動していました。たしか毎週火曜日7時からの茶道教室に通いながら、いろんな人と知り合い、意気投合し、テニス、社交ダンス等の教室やサークルに参加しました。
今こうして振り返ってみると、あの頃も毎日忙しく過していたなと思いだします。現場で疲れた頭を(そうでもなかったけど、痕跡を変遷で追っていると頭の中がぐしゃぐしゃになる事が良くあったんですよね)、仕事が終ってからのサークル活動ですっきり切り替えて、友人達と「青春をエンジョイ」していました。大塩八幡宮に行った事で多くの人と出会いいろんなことを学びました。修理工事中の上司だった岡主任には、社寺建築の時代による様式や手法など、復原を廻っていろいろ議論をして教えて頂きました。宮大工の直井さんや下川さん達職人さんには、平面的な図面を立体的な形に造っていく匠の技の素晴らしさを。そして、宮司さん氏子さんやホームの皆さんなど地元の方々からは、人に対する温かみのある優しさなど、私にとって掛替えの無いことばかりです。その岡主任も既に故人となられ、葺き替えられた屋根を見ていたら「あんなにも変わった、復原の裏話を知っているのは私ぐらいだろうな」と思い、今回の日記にしたためることにしたのでした。
22年も昔の事なのに、順序良く紐解いてみると意外に出て来るもんですね。この「リアルタイム日記方式」、わかりやすい、とのお声も頂きましたので、また使用してみるつもりです。
最後にお世話なった岡主任とお茶の大橋先生に哀悼の意を、そのほかの皆さんには感謝をこめて、この巻を閉じたいと思います。