旅の六十八:「中の沢観音堂・大内宿/南会津」
早いもので、もう12月。今年も残りわずかとなりました。
このところ、保福寺本堂の材料(チーク材)の確認や、原寸図の検査でしばしば、福井に行ったりして飛び回っておりました。
そこらへんの話はいずれまたすることにして、
今回は、この初秋に訪ねた南会津の中の沢観音堂などを
紹介します。
中の沢観音堂は福島県南会津郡下郷町あり、その道すがら
には、茅葺き屋根の民家集落が点在しており、つい、引き寄せられるように近づいてみました。鉄板で覆われた茅葺き屋根
には、寄棟、入母屋、兜造りといろいろなタイプがあり、「会津の民家は寄棟」とのイメージを持っていた私にとっては、ちょっと
意外でした。しかも、ひとつの集落にいろんな造りの屋根があることにも驚かされました。そして、もう一か所、「塔のへつり」と
言う名所に寄り道をしちゃいました。大川羽鳥県立公園の
景勝地で、百万年の歳月をかけて、浸食と風化を繰り返して
できた景観のようです。釣り橋を渡って、浸食された岩場に
行ってみると、岩穴に祠がありました。虚空蔵菩薩を祀ってる
お堂は、間口3間に1間の唐破風の向拝付けています。
江戸時代頃の造りのようですが、繋ぎ虹梁の架け方とか、
細部の手法などが面白い建物でした。
そして、いよいよ中の沢観音堂。小さな建物ですが、なかなか良いんです。正式には旭田寺観音堂と言いますが、中妻
観音堂とも呼ばれているようです。これは、御蔵入三十三観音霊場の御詠歌として唱われた「中つまと尋ね きぬれば中之沢 我が世の中の ちかいたのもし」が所以となっているようです。
観音堂の創建は平安時代初期の大同2年(802)に徳一上人が開山したと伝えられ、昭和28年に旭田寺となったようです。
正面三間側面三間の寄棟造は茅葺型銅板葺きで、柱上に
船肘木を載せた一軒疎垂木の簡素な建物です。本尊の
聖観音は平安時代の作とされており、脇侍の不動明王が室町時代中期の嘉慶2年(1388)の作ということから、観音堂も様式手法からみて、不動明王を奉納された室町時代中期の嘉慶
2年頃と考えられています。丸柱に壁は横板壁で、開口部に
桟唐戸を用い、間口は脇間より中央間がわずかに広くなって
おり、落ち着いた阿弥陀堂風の柔らかな優しい表情の建築
でした。
つづいて訪ねたのが、大内宿。江戸時代に会津若松と日光を結ぶ会津西街道が敷設されてから多くの本陣や旅籠などの
建物が建ち並んだ、その宿場町の一つです。江戸時代の
街道の名残がよく残っていて、街道にそって水路が流れ、
茅葺きの軒が連なる家並みは、まさに江戸時代にタイム
スリップしたようです。私が訪れた日もたくさんの人で賑わっていましたが、これから寒い冬は、雪も深く訪れる人も少なくなるのでしょうね。雪深い会津の叙情にも興味があるところです。
皆さんも訪ねてみてはいかがでしょうか?