旅の七十五:「富士山本宮浅間大社/富士宮市」
ここ数年、富士山の世界遺産がらみなどで富士山周辺の仕事が続いて
います。たとえば、富士山の周りには、火山である富士山を鎮めるために
浅間大神をお祀りした、浅間神社が数多く存在しておりますが、
その中のいくつかの調査も行いました。前回ご紹介した冨士御室浅間神社もそのひとつですが、引き続きシリーズとして、何回かに分けて、各地の浅間
神社をご紹介したいと思います。2回目の今回は、静岡県富士宮市にある
「富士山本宮浅間大社」です。
富士山本宮浅間大社は、その名の通り全国の浅間神社の「総本宮」です。
紀元前の第7代孝霊天皇の時代に、富士山が大噴火し、住民は離散。
荒涼とした大地を憂いた第11代垂仁天皇が、紀元前27年に浅間大神を
祀り、山霊を鎮めたのが起源とされ、その後、木花之佐久夜毘売命を併祀。噴火も鎮まり平穏な日々を送れるようになり、大同6年(806)平城天皇の
勅命により現在地に社殿を造営したのが、今の富士山本宮浅間大社の
はじまりのようです。
戦国時代には、武家の崇敬が篤く、特に武田信玄や徳川家康の奉納品が
多く残っています。わけても徳川家康は、関ヶ原の戦いに勝利したお礼として、本殿・拝殿・舞殿・楼門など30余棟を造営整備し、壮観を極めました。
また、富士山の八合目から山頂の約120万坪を、境内地として寄進して
います。富士山に登ると、いくつもの鳥居があり、山頂には奥宮や
久須志神社が鎮座していて、登山者は剣ヶ峰・白山岳・久須志岳・成就岳・
朝日岳・浅間岳・駒ヶ岳・三島岳の八峰を巡るお鉢廻りをしますが、あそこは
全て奥宮の境内なんですよ。知っていましたか?
それでは、建物の紹介をします。現存する楼門や本殿などの建物は、
先ほど説明したように、徳川家康によって桃山時代の慶長9年(1614)に造営
された建物です。それ以外の舞殿など数多くの建物は、寛政及び安政の
大地震で倒壊したようです。
楼門の構造形式は、三間一戸楼門、入母屋造、桧皮葺き。軒廻りは
二軒繁垂木に組物は三手先で、腰組も三手先としています。
社殿は、拝殿・幣殿・本殿が接合した建物で、外観上は一体の建物のように
見えます。拝殿は桁行5間、梁間5間、向拝1間の妻入りで屋根は正面が
入母屋造、背面が切妻造で桧皮葺き。拝殿と本殿をつなぐ部分の幣殿は、
桁行5間、梁間3間、屋根は両下造(りょうさげづくり)で桧皮葺き。本殿は2層の建物で、1層が正面5間、側面4間で正面に庇を付け、屋根は四方葺下しで桧皮葺き。2層は三間社流造で桧皮葺き。1層は拝所で2層に流造本殿を
重ねた「浅間造」と言う数少ない神社建築の様式です。
私が調査に行った時は、ちょうど鎮座1200年の記念行事を行っていました。
現在地に社殿が造営された806年から1200年、つまり2006年だったわけ
ですね。全国に1300もの浅間神社があり、そのルーツが富士山本宮浅間大社だと伺ったのもその時です。
富士山があって浅間神社がある。長―い歴史を共に経てきたその関係も、
立派な「文化遺産」のひとつです。富士山を訪ねた折には、神社の方にも
ぜひ立ち寄ってみてくださいね。