旅の七十六:「忍草浅間神社/忍野村」
このところ、朝晩めっきり涼しくなってきましたが、日中はまだまだ暑い
ですね。このところ私は、富士市にある重要文化財の近代和風建築の実測
調査に通っているんですが、毎日、汗だくになって作業しております。
こちらは、いずれ紹介することにして、今回は前回に引き続き、富士山周辺の浅間神社について。3番目は「忍草(しぼくさ)浅間神社」です。
忍草浅間神社には、一昨年の12月、寒い冬に実測調査で訪ねました。
富士山の北東、山梨県南都留郡忍野村の忍野八海のすぐ近くに位置し、
大同2年(807)に創建されました。この頃、富士山では度々噴火が起き、
延暦19年(800)には延暦大噴火があったと、平安時代の歴史書「日本記略」
にもしるされているようです。噴火を鎮めるため平安時代初期に創建された
浅間神社が多いようです。
さて、忍草浅間神社の創建後の変遷についてはよく解りませんが、鳥居を
くぐると随身門と思しき門があります。しかし、中には運慶作とも伝えられる
金剛力士像が!なぜか仁王門なんです。その奥の切妻造の建物の中に
本殿がありました。本殿には覆い屋が掛けられていたわけです。
お宮の関係者の方に鍵を開けて頂き、覆い屋の中に入ると、そこには
三間社流造の立派な本殿。調査に先立ち、神主さんからお祓いをして頂き、
いよいよ調査開始です。
各部材の寸法や仕事の手法などを本格的に調査したところ、構造形式は
三間社流造、桧皮葺で、組物は身舎に出組、向拝は出三斗を設け、中備には蟇股を配し、向拝の繋ぎに海老虹梁と手挟を用いています。また、組物や蟇股などに彩色を施し、彫刻や構造様式・手法などに桃山時代の特徴がみられることから、桃山時代から江戸初期の建立と考えられました。社務所に残されていた、慶長18年の「本殿再興の棟札」と年代的にもほぼ一致し、この棟札が
本殿再建の時のものと思われます。
三間社の本殿は身舎に三つの扉があり、御神体が三神祀られています。
それが国指定の重要文化財「忍草浅間神社の三神像」です。木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、鷹飼(たかがい)男神像、犬飼(いぬかい)
男神像です。いずれも座像で、鎌倉時代末期の正和4年(1315)に造られた、山梨県では最古の御神像のようです。
本殿の方は忍野村指定文化財です。経年による緩み、屋根や軒に垂れ、
軸部の傾斜など痛みもみられますが、まだまだしっかりしています。今後も
適切な維持管理をしていれば、いずれ県指定・国指定の文化財に格上げ
されることと思います。
なかなか良い建物ですので、忍野八海を訪ねた折にでも立ち寄り、覆い屋の中をのぞいて頂ければと思います。