旅の十九:「常楽寺・長寿寺/滋賀」
滋賀には皆さんご存知の比叡山延暦寺があります。
その影響により天台宗のお寺が多く、京都や奈良とはまた違った文化により、素朴で落着いた雰囲気のお寺が形成されたように思います。
今回ご紹介するお寺も、奈良の力強さのある荘厳な建築や、京都の雅やかな建築とは違い、それでいて、それらには決してひけをとらない優れた技術や意匠があり、物静かで落着いたなかに、なにかキラリと光るものを持つようで、私はとっても好きです。
というわけで滋賀のお寺巡りの旅・その二回目は、常楽寺と長寿寺。
東海道五十三次で「京立ち石部泊まり」と言われた、京都から最初の宿場、石部宿の南側の山裾に、人知れずひっそりと建っています。
ここにはまず、奈良時代に聖武天皇によって紫香楽宮(しがらきのみや)が造営されました。
さらに、その北鬼門を封じるために良弁僧正によって東西二寺院が建立されました。これが常楽寺と長寿寺。
いわゆる、平城京における東大寺と西大寺の役割を担っており、そうした由来から、今でも常楽寺は西寺、長寿寺は東寺と呼ばれています。
また、平安時代には、この阿星山山ろくに、阿星山五千坊と言われる天台仏教大法城があったとされ、その名残か、西寺・常楽寺には、今は寂れていますが、きりりとした清雅な印象の本堂と、背後に重厚な三重の塔がそびえ建っています。
その本堂は室町時代の延文5年(1360)再建の、7間に6間の入母屋造り桧皮葺きの建物です。
三重の塔も室町時代の応永7年(1400)に建てられた3間に3間の本瓦葺きの塔で、本堂、三重の塔ともに国宝です。
常楽寺より1キロほど東に行ったところに東寺、長寿寺があります。
並木の参道を歩いて行くと、しっとりとした寄棟のやさしいお堂がひっそりと佇んでいました。
これが本堂です。
5間に5間の寄棟造り桧皮葺きの本堂は、鎌倉時代前期の建立。組物は平三斗で簡素な様式ですが、美しい蟇股や軒廻りのやわらかい曲線に鎌倉時代の和様の優美さが感じられる建物です。
本堂の右側には弁天堂、左側には鎮守の白山神社があります。
ここにもかつては、常楽寺と同様の三重の塔がありました。
しかし、織田信長が安土城築城に伴い創建した見寺に移築されました。
常楽寺の大門も同じように、慶長6年(1601)に、徳川家康が三井寺に移築しています。
この二寺は、共に、そのような時の権力者に変えられた運命を持つゆえに、そこはかとない寂しさが漂うのでしょうか。
しかし見方を変えれば、それらの運命を乗り越えて時を経たという、人で言えば「悟りの境地」にも似た静けさで、見る人をやさしさで包み込んでくれているような気もします。
いずれにしても、端正で素朴、穏やかで心癒される雰囲気に満ちたお寺です。
国宝ながら、それほど観光スポット化もしていないので見逃しがちですが、滋賀にお出かけの際は、ぜひご覧頂きたいと思います。