旅の百四:「保福寺本堂 木割とディテールデザイン」
保福寺本堂は、建具のほとんどの取り付けが完了、防犯上の安全が確保されましたので仮囲いの必要性が無くなり、
撤去されました。これで建物全体が障害物もなく観られるようになりました。現在は台所と納戸、開山堂の内装工事、そして、
木工事は高欄の組立が行われています。
今回は、本堂の完成も間近となりましたので、これまでに
デザインしてきた各部位の細部意匠について、
ほんの一部ですがご紹介したいと思います。
まず、本堂全体について。社寺建築には、建物の各部材の
大きさや長さなどの寸法を、一定の基準によって定める
「木割」と呼ばれるシステムがあります。
保福寺本堂では、創建当初の天正年間、即ち室町時代の
「中世の型式」で建てたいというコンセプトがありましたので、
中世の禅宗様式の木割に基づいて設計を行っています。
木割では、柱間寸法と柱の大きさの比例などにより、各種部材寸法を算出します。たとえば、垂木を並べ、隣の垂木までの
一組の幅を一枝(いっし)と言いますが、これを基本寸法として、斗きょうの六枝掛(ろくしがけ:組物の基本である三つの斗に六本の垂木を掛ける)や、柱間を十枝や十二枝など変化を持たせ、斗きょう間隔や柱間隔の微妙なバランスで、建物の遠近感を図り、より美しく見えるようにしています。
また、建物の四隅の柱を伸ばした、隅伸びと言う工法も
採用しています。隅柱を伸ばすことにより軒が捻じれ、建物の中央部から軒が反り上がり、軒廻りの軽快感を醸し出すことができます。その他にも多種多様な中世の木割や手法を
採用することによって、現代の社寺建築では失われて
しまった、優美さの中に力強さを兼ね備えた本堂の姿を
演出しています。
さらに、各部位の細部意匠にも、各時代や様式によって
デザインの特徴があります。礎盤は、禅宗様建築の礎石で、
向拝柱の大面取りに合わせて礎盤にも面を付けました。
海老虹梁は、元では太くて力強く、先端は細く、しなやかな
曲線としています。鬼板は、近世以降、現代よく見られるような複雑な形になったのですが、保福寺では中世風のあっさりしたものにしました。懸魚(げぎょ)は猪の目懸魚を採用し、
六葉(ろくよう)も木製です。格狭間は、禅宗建築で使われて
いる蝙蝠型をデザインしています。欄間は、禅宗様の
波欄間とし、欄間から射し込む日の光が炎のように映ること
から火炎欄間とも言われており、中央部には宝珠を
デザインしました。縁の高欄には、逆蓮と握り蓮の禅宗様式の型式を採り入れました。本来の禅宗様建築は、床が四半敷と
言う四角い瓦を敷いた土間で、縁は付きませんが、法堂と
仏殿の機能を併せ持つ現代の本堂の性格上、高床の床を
設けなければならず、縁を設けたデザインをしました。
現在、高欄を組立中です。高欄が出来上がれば、
外部は完成です。もう少しだけお待ちください。
以上、簡単に説明しましたが、日本建築は奥が深くて、
詳しいところまでは、ここではとても説明しきれません。
しかし、とりあえず、内面からそこはかとにじみ出てくるような、力強くて優しい姿を、見て、感じて頂けたら幸いです。