旅の百十三:「瑞龍寺/富山県高岡市」
9月に入り、残暑もいくらか和らいだでしょうか?
今回は、前回の雲龍山勝興寺に引き続き、富山県高岡市の
曹洞宗寺院、高岡山瑞龍寺をご紹介いたします。
瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長が文禄3年(1594)金沢に創建した法円寺が始まりとされています。その後、44歳の時、家督を異母弟・利常に譲り、富山城で隠居するものの、
城下からの火災で富山城は類焼。高岡城を築城させ
入城しました。このころ法円寺も高岡に移されたようです。
利長公が慶長19年(1614)死去すると、後を継いだ三代藩主
利常は、法円寺を利長公の菩提寺とし、利長公の法名
瑞龍院に因んで瑞龍院に改め、後に瑞龍寺に改称されました。
瑞龍寺の造営は利長公三十三回忌の正保年間頃に着手。
棟梁には加賀藩お抱えの山上善右衛門嘉広があたりました。
3万6千坪の寺域の周囲に濠をめぐらした城郭を思わせる
造成、山門・仏殿・法堂を一直線に並べて左右に回廊を
巡らして諸堂をつなぐ中国形式の七堂伽藍には、約20年を
費やし、利長公の五十回忌の寛文3年(1663)に完成しました。
山門は三間一戸二重門、入母屋造、柿葺、組物は
上層下層とも三手先詰組で、一般的な二重門に比べると
上層の逓減率が低く造られています。これは雪国のため、
積雪時に上層屋根から落下した雪が下層の屋根に当たらないように計算されたようです。現在の門は当初の門が焼失後、
江戸中期の文政3年(1818)に再建されたものです。
仏殿は万治2年(1659)建立の正面三間側面三間、
一重裳階付、組物三手先詰組、裳階出三斗、入母屋造、
鉛瓦葺。鉛瓦と言っても全てが鉛で出来ているのではなく、
本瓦葺きの形に屋根を木材で作り、鉛板を張ってあります。
法堂は明暦元年(1655)建立の正面十一間側面九間、
入母屋造、柿葺型銅板葺。向拝一間、唐破風、
柿葺型銅板葺。
内部は方丈形式の畳敷きで、横2列、縦3列の6室となっており、3室の前面に縁(板の間)と土間廊下が設けられています。
法堂と大茶堂をつなぐ回廊の高廊下は法堂と同じ明暦年間の建立、それ以外の回廊は寛文元年の建立で、恐らく瑞龍寺
造営の最終段階だったのではないかと思われます。
この瑞龍寺は寛文3年の完成から約320年を経た昭和60年に大修理工事が始められ、10年後の平成8年に完了。
見事に蘇り、平成9年には、山門・仏殿・法堂が国宝に昇格することとなりました。そして今、その雄姿を観させて頂いています。
実は、この工事には、私が32年前(1980)の大塩八幡宮拝殿
修理工事でお世話になった上司の岡さんが携わっておられ
ました。この大修理にも大変ご尽力された事と思います。
今は亡き岡さんを偲びながらお参りをさせて頂きました。
また、高岡を訪れた際には、立ち寄らせて頂きたいと
思います。