旅の四十一:「外川家保存修理工事/富士吉田市」
私の建築旅日記:その四十一『外川家保存修理工事/富士吉田市』
山梨では今、富士山を世界文化遺産にしようとプロジェクトもスタートし、
活発な活動が行われています。
その活動の一つとして、先日、資産候補が42件揚げられたのですが、
その中に富士吉田市指定文化財「外川家住宅」が入っていました。
実は、その外川家住宅は現在、保存修理工事が行われています。
その工事の監理を私がしておりますので、今回は外川家について書きたいと
思います。
外川家は富士吉田市街地南部の上吉田地区にある御師(おし)の住宅です。
富士山の北口に位置する上吉田は、室町時代以降、信仰的な富士登山を
する人々で大いに賑わいましたが、これらの登山者達を受け入れたのが
御師と呼ばれる富士信仰の指導者です。御師は、富士山に登拝する人々に
自宅を宿泊場所として提供し、富士信仰の道を説き、祈祷を行うなどする
人々で、富士講の隆盛とともに発展。江戸時代後期には、86軒の御師が
軒を連ね、繁栄していました。しかし、富士講の衰退と、昭和39年の富士
スバルラインの開通によって、富士登山の形態は大きく変化しました。
外川家も、昭和42年に御師を廃業し、その後は住宅として存続してきました。
そして、平成16年に、富士吉田市指定文化財に指定され、この18年度、
保存修理工事を実施しています。
外川家は主屋と離座敷があり、それを繋ぐ渡り廊下で構成されています。
主屋は棟札から江戸時代中期の明和5年(1768)の建立とされ、離座敷は
明治初期の建立と推察されています。今回の保存修理工事は、老朽化に
伴い、雨漏りが発生し、床組も緩むなど、今後、劣化が著しく進行すると
考えられるための措置です。修理を行った後は、御師住宅を一般公開し、
登山口に存立した富士御師の実態や、富士山の登拝などを総合的に学ぶ
学習拠点となる予定です。
修理方針は、半解体修理で、御師としての最終段階の昭和40年頃の姿に
整備します。まずは昭和40年以降増築された部分を解体撤去し、床組の
修繕を行い、並行して屋根の葺き替えを行います。その後、外壁の修繕などを
随時していく計画です。修理前の現状建物は、屋根が亜鉛引き鉄板瓦棒
葺き、外壁は波形鉄板で覆われていました。解体調査を行ったところ、屋根は
当初、板葺き屋根と思われ、外壁は、杉板の竪破目板張りと下見板張り
だったことが判明しました。また、離座敷は明治以降の建立とされていましたが、もう少し遡る可能性もあり得ると考えられます。昭和40年頃の姿への整備ということで、屋根はカラー鋼板瓦棒葺きの現状と変わりませんが、
外壁は杉板張りとする予定です。現在、工事進行中ですが、来春には、
整備された外川家をご覧頂けると思います。お楽しみに!
この工事については、進捗状況により、またご報告したいと思います。