旅の一:2002年9月 「三井財閥の別荘/軽井沢」
今回より新企画「私の建築旅日記」を連載開始します。
これは、私が文化財技術者として現状・復元調査などを行った歴史的建造物や、個人的に興味を持って訪れた数々の名建築などを皆さんに紹介していくページです。皆さんの家づくりに直接役立つヒントもあれば、建築というものが持つ奥深さや面白さに気づいていただくきっかけにもなるかと思います。私個人の青春の思い出なども混ぜながら(!)、つれづれなるままに綴っていきます。どうぞ、ご愛読を!
ということで一回目は、かの軽井沢・かの三井財閥の別荘から。
軽井沢駅から旧軽井沢へ向っていると、もう夏休みも終わった9月半ばの平日というのに観光客が意外と多い。パン屋からいい香りが漂う通りを抜け、三笠ホテルへつづく杉並木の手前を右に曲がってドロドロにぬかるんだ道の上に、ひっそりとおそらく訪ねる人もないような林の中にその別荘はありました。
明治32年に三井家財閥の一人が建てた別荘が今回の調査物件です。ハーフティンバー風の木造2階建の整然とした洋館が正面にそびえ建ちその奥に和館を配した別荘は、何年も開けてないようで、湿った空気が漂ってました。しかし、応接間の重いドアを開け、上げ下げ窓そしてガラリ戸を開けると光が射しこみ、素晴らしい調度品が目に付きました。明治から大正期のカーテン・ブラインド類、大正初期の電化と同時に取り付けられたと思われる照明器具や家具などです。これは凄いなーとタイムスリップしたような錯覚さえ覚えました。
調査を進めるには、まず、間取り構成から1階は、東側正面に突き出した玄関を入り、西へ廊下が延び、右側に2階へ上がる階段。左手にニ室が並び手前が応接間、奥が食堂。廊下はさらに奥へ延び、和館へ繋がっています。応接間と食堂の南側には下屋を架け、サンルームとしています。
2階へ上がると右側にトイレ、左側即ち南側に3室寝室が並んでいました。
いずれの部屋も重厚な造りで天井も高く、照明器具は、その器具や配管から、創建時の明治32年は瓦斯灯だったことが窺えました。カーテンやブラインドは絹製で開閉装置の内蔵された吊装置も残されています。また各寝室には手洗器が設置され、トイレは水洗式でした。エッ?明治32年に!
つづいて、和館は、数奇屋風の質素な造りの木造2階建が洋館の西側に別棟で建ち、渡り廊下で繋がっています。その廊下が矩折に縁となり和室の10畳と8畳の座敷を設け、その手前奥に廊下で繋いだ浴室を、縁の奥にはトイレがそれぞれ設けられています。2階へは渡り廊下手前右側に階段が取り付き、6畳と8畳の座敷があります。
和館は座敷にも床構えをもたないことから、おそらく実用的な建物として扱われ、それに比べ洋館は豪華であり、ゲストルームとして使われていたのでないかと、当時の様子が偲ばれました。
ここで私は、全体から細部にいたるまで実測調査を行いました。基礎に現在の木造住宅に良く使われている布基礎コンクリートを使用していますし、2階のトイレや手洗器への揚水、瓦斯の精製場や水洗便所の浄化槽も当然あったと考えられます。全てが当時の最先端の設備と技術であり、それらがよくこのような山奥に、しかもわずか十数件しかない別荘地の軽井沢に使われていたとは、まさに驚きです。それにもまして当時の上流階級の力と財力には想像を絶するものがあり、庶民の生活とはかけ離れた雲の上のような世界がここに存在した事を、あらためてかいま見たような調査でした。