旅の二:1996年8月 「おしんの廻船問屋/酒田」
もう随分以前に訪れた所ですが、今でも鮮明に思い出す、石置き屋根の大きな廻船問屋を今回はご紹介します。
山形県酒田市の「鐙屋(あぶみや)」と言う大きな町屋の復元調査の際の思い出です。
調査地が山形という事で、ちょっと遠いのと、大きな建物なので2泊3日の調査にして頂きました。日頃からあまり家庭サービスをしていない私は、妻に「どうする、行く?」と聞くと、行きたいと言うので実測の手元(助手)を兼ねて連れて行くことにしました。また、子供が小さかったのでその子守り役におふくろも、って事で、さながら家族旅行になってしまいました。
調査の依頼を受けた時の印象は「酒田といえばいつだったか大火があった所で、今ごろの山形は暑いんだよな!」というぐらいでした。
ところが、私も訪れるまで知らなかったのですが、調査しながら教育委員会の方々から、ここはかつてあの「おしん」が奉公していた問屋場と聞きました。実際に奉公していた店は、すぐ近くの「加賀屋」だそうですが、そこはすでに焼失していました。「おしん」というドラマを私はあまり観たことは無かったのですが、いつも欠かさず観ていた妻と母は 「確かにこんな感じの町だった、こんな所もあった」と、期せずして至極感激していました。
さて、本題の鐙屋は酒田を代表する廻船問屋で、現在の建物は江戸時代後期の弘化2年の大火で焼失した直後に再建したものと伝えられています。酒田は、その後もいくたびかの火災と震災に見舞われますが、辛うじて難を逃れて現在の建物が残ったようです。
木造平屋建一部2階建杉皮葺石置屋根で、港側の南面道路に面して店、その右奥に次之間、その南側に上之間。以上の3室の上部に2階があり、板の間の広間で柱も短く、天井を張らない屋根裏部屋となっています。この店の部分と住居部分を結ぶ土間が奥に延び左側が部屋、右側が庭となっています。
住居部分は南面の土間側より三之間、その奥が次之間、そのまた奥が上之間で床構えがあります。この3室の奥に中之間、四畳半、八畳、茶の間、納戸、茶の間、台所と部屋が続き土間へ。とても大きな建物で敷地も広く、その当時の繁栄振りが今も窺えます。再建前の屋敷は今の4倍以上の広さがあったようです。
今回の復元修理は、8年という長期に渡るもので、私の調査はその最終工程の仕上げ段階での調査でした。だから修理前の建物は見ていませんが、以前は店の2階建部分が「寄棟造り桟瓦葺き」だったのを、さらに昔の形である「切妻造り杉皮葺石置屋根」に復元したようです。その他にも、数多く長い歴史の中で変遷を経てきた所を復元しています。復元する場合に新しい材料を使う時は、修理した年号の入った焼印を押し、復元したこととその時期が分かるようにします。また、意匠的に見える場合などは、古色塗りを施し、なるべく違和感の無いようにします。この「鐙屋」も、長い歳月がかけられ、多くの職人さん達の技術で見事に仕上がっていると思いました。
たしか、工期の終了は1998年3月だったと記憶しています。完成後まだ訪ねてはいないのですが、今も「おしん」の故郷の庄内地方を訪れる方々に、ほっと心の休まるひと時をもたらしていると思います。
この調査中散歩がてら鐙屋の川向うにある山居倉庫を訪ね、帰りがけには、高校時代から来たかった出羽三山神社の「羽黒山五重塔」にやっとお目にかかることが出来ました。さらに帰路には、子ども達にも湯野浜海岸で海水浴をさせるなどけっこうハードスケジュールな旅だったことを覚えています。