旅の二十:「西明寺・金剛輪寺/滋賀」
名神高速道路を東京から京都に向う途中、甲良パーキングと秦荘パーキングの間に高速道路の上を架橋した並木の参道が見えます。ここが今回ご紹介する西明寺です。
名神高速を通るたび、この並木を見ると、西明寺の美しい本堂と三重の塔をつい思い出してしまいます。
滋賀のお寺巡りの旅・最終回はその西明寺、そして秦荘パーキングにほど近い金剛輪寺です。
この二寺は天台宗湖東三山の内の二山で、西明寺は承和元年(834)仁明天皇の勅願で三修上人によって開創されました。
その後、戦国時代には、天台の寺院はことごとく織田信長に焼き討ちされ、西明寺の諸堂も焼失しましたが、本堂と三重の塔は難を免れました。
その本堂は瑠璃殿と言い薬師瑠璃光如来を本尊としています。
七間・七間の入母屋桧皮葺きで、鎌倉時代前期の純和様による鎌倉密教本堂の名建築です。規模は前回の常楽寺とほぼ同じで、組物は出三斗、中備に鎌倉時代の代表とも言える蟇股を備えています。
ちなみにこの建物は、当初、五間堂だったのを、後に周囲一間拡張し七間堂になったようです。
これは平面構成からも充分うかがえます。
次に、三重の塔。こちらも鎌倉時代純和様の代表と言える三重の塔で、鎌倉時代後期の建立です。
二・三重部分が低く安定感のある美塔です。当然ですが、本堂・三重の塔ともに国宝です。
金剛輪寺。こちらは聖武天皇の勅願によって、行基が天平13年(741)に開山。
嘉祥年間(848~850)慈覚大師が中興し、天台の道場となりました。
本堂は七間・七間の入母屋桧皮葺きで、西明寺本堂のような向拝(正面の屋根を前に張り出した場所。参拝者の拝み所)はありませんが、平面構成は同じ密教本堂のためよく似ており、やや大きめです。
建立年代は金具に鎌倉時代の弘安11年(1288)の銘があり、一般的には鎌倉時代と紹介されていますが、建築様式や手法などから少し遅れた室町時代前期とみられています。
ここにも三重の塔があります。だいぶ前に倒壊し、残った部材を組み立てて建てられていた待竜塔を、昭和53年に復原したのが現在の三重の塔。本堂と同じ頃の室町時代前期の建物です。
これまでに数々の難を免れ、そして今日、復原再興された塔です。
歴史は一度失うと取り返しがつきません。貴重な文化を失わないようにするには、今、生きている我々が「残す努力」を積み重ねていくしかありません。
とりあえずは、まず、少しでも多くの人に興味をもっていただくこと。
そのために、私も微力ながら、こうしたそれぞれの歴史をもった建物を皆さんに紹介しつづけて行きたいと思っています。