旅の百九:「紀州の建築(その2) 和歌山県」
前回に引き続いて、紀州和歌山の建築をご紹介します。
五番目は、地蔵峰寺。地蔵峰寺は海南市下津町の熊野古道の藤白峠に
あり、峠の地蔵さんと呼ばれて親しまれています。創建については詳らかではないようですが、お地蔵さんが造られた元享3年(1323)の鎌倉末期頃には、まだ建物は無かったようです。本堂は、桁行三間、梁間三間、寄棟造、
本瓦葺、軒廻りは二軒繁垂木で組物は出三斗。軒反りが強く、禅宗様の
影響が濃厚な建物です。建築年代こそ不明ですが、室町時代の永正10年
(1513)の落書きがあり、様式や手法からも永正10年以前の室町中期頃と
考えられています。
六番目は、善福院釈迦堂。善福院は鎌倉時代の建保2年(1214)に、
臨済宗の開祖である栄西によって建立された廣福寺の五ヶ院の一つで、
廣福禅寺という名でした。室町時代には紀伊国守護の畠山氏に仕えていた
加茂氏の菩提寺として栄え、七堂伽藍の大寺院でしたが、加茂氏の没落と
共に廣福寺は衰退し、真言宗に転宗してなんとか存続しました。江戸時代には紀州徳川家の菩提寺候補になり、紀州徳川家の宗派である天台宗に改宗して再興を謀ったものの、菩提寺は長保寺に決まってしまいました。
それでも明治時代に入るまでは、廣福寺の三ヶ院が存続していましたが、
明治期の廃仏毀釈で一つにまとめられ、善福院に改められました。そして、
現在まで残った建物はこの釈迦堂の一棟のみとなっています。
その釈迦堂は、鎌倉末期の嘉暦2年(1327)に建てられた禅宗様仏殿です。桁行五間、梁間五間、裳腰付で、二軒繁垂木に組物は二手先組物詰組。
裳腰は一軒繁垂木に組物は出三斗。屋根は寄棟造本瓦葺で、一般的に
禅宗様は入母屋造が多いのですが、珍しい寄棟造の本格的な
禅宗様建築です。内部は瓦敷きの土間で、裳腰部分を海老虹梁で繋ぎ、
須彌壇上部は虹梁に大瓶束を載せ、詰組の組物で鏡板天井を支える、
精巧な禅宗様の構造美が素晴らしい国宝建築です。
最後は高野山。皆様もご存じのように、真言宗の開祖、弘法大師空海が
開いた一大仏都で、世界文化遺産に登録されています。空海は、平安時代の延暦23年(804)唐長安に渡り、国師青龍寺恵果阿闍梨より真言密教を
授かり、帰国後、高野山を修行の場として開き、弘仁7年(816)金剛峯寺を
開山したのが始まりとされています。現在、山内には総本山金剛峯寺を
はじめ117ヶ寺があります。
建物の紹介をします。
金剛峯寺大門。高野山内への入り口にある大きな門で、元々は現在の
ような門ではなく、鳥居の様なものだったようです。鎌倉時代の永治元年
(1141)に門の形式に改められ、寛喜2年(1230)には五間二階の楼門が
建てられました。その後、数回、焼失による建て替えを繰り返し、現在の
大門は江戸初期の元禄13年(1700)に建て始められ、宝永2年(1705)に
完成したものです。構造形式は五間三戸二階二重門で、入母屋造、
瓦棒銅板葺。二軒繁垂木に組物の三手先は一・二階とも同様です。
金剛峯寺不動堂。鎌倉初期の建久8年(1197)に、鳥羽天皇の皇女、
八條女院の発願によって建立されたとされる住宅風建築です
(※旅の三十三参照)。 桁行五間、梁間四間、向拝一間付ですが、三間堂の左右の一間を張り出しとし縋破風で屋根を伸ばした特異な形式の入母屋造、桧皮葺。二軒繁垂木に組物は出三斗、妻飾は叉首組です。屋根の
折れ曲がった縋破風は鶴が翼を広げたような形で、流麗な屋根が優雅な
たたずまいをかもしだす美しい御堂です。
金剛峯寺徳川家霊台。徳川家康公と秀忠公を祀る廟で、元は大徳院と言う徳川家との関係の深い寺院にあったのですが、廃仏毀釈による合併で現在は金剛峯寺に属しています。徳川家光公によって建立された二棟で、写真の
手前が家康公、奥が秀忠公の霊屋です。寛永10年(1633)造営に着手し、
10年の歳月をかけて寛永20年に完成しました。日光や紀州東照宮と同様に
漆塗りに金箔や極彩色、錺金具の豪華絢爛な建物で、桁行三間、梁間三間、宝形造、銅瓦葺、向拝一間は軒唐破風付。二軒繁垂木に組物は
三手先詰組の禅宗様式です。二棟とも同規模同形式ですが、家康公の霊屋、続いて秀忠公の霊屋が建てられたようです。
金剛三昧院。金剛三昧院は鎌倉時代の建暦元年(1211)に北条政子に
よって夫の源頼朝を弔うために創建した禅定院を起源としています。
承久元年(1219)息子の源実朝が暗殺されると、金剛三昧院と改められ
ました。
金剛三昧院客殿・台所は参詣者の応接や宿泊のために建てられた建物で、建立年代は不明ですが、工法や手法などから江戸初期頃と考えられて
います。桁行34.3m、梁間18.9m、入母屋造、桧皮葺。大広間には室町時代
中頃に活躍した小栗宗丹の襖絵が残されています。
金剛三昧院多宝塔は、鎌倉時代の貞応2年(1223)に源実朝を弔うために
建てられたもので、その際に金剛三昧院に改名されています。三間多宝塔、桧皮葺で初重組物は平三斗、二重組物は四手先、二軒繁垂木は一・二重とも同様で総高14.9mです。全体のバランスからみると、下層が低く安定感が
あり、上層は小さく引き締まった意匠としており、整然とした優美さのある
美しい塔です。
金剛三昧院経蔵。多宝塔と同じ貞応2年頃の建立です。東大寺正倉院や
唐招提寺経蔵などと同じ校倉造の、桁行二間、梁間二間、寄棟造、桧皮葺の建物です。
こうして2回にわたり、和歌山の建築を紹介しましたが、京都や奈良に近い
からか、優れた建物が多いです。熊野古道を散策しながら、また訪ねたいなと思います。皆様も和歌山に行く機会がありましたら、これらの建物を思い
出して訪ねていただけたら幸いです。