旅の百十二:「勝興寺/富山県高岡市」
残暑お見舞い申し上げます。暑い日が続きますが、如何お過ごしでしょう?
今回は、先日、文化財の調査で訪ねた、富山県高岡市伏木にある
浄土真宗の寺院、雲龍山勝興寺をご紹介いたします。
勝興寺は、室町時代中期の文明3年(1471)に、蓮如上人が現在の富山県
南砺市に一向宗(真宗)の拠点「土山御坊」を創建し、四男蓮誓を布教に
当たらせたのが始まりとされています。その後、火災などにより移転を
繰り返し、天正12年(1584)富山城主佐々成政から寄進された古国府城の
現在地に移りました。国府の跡だけに、空堀や土塁で囲まれた立地環境は、越中一向一揆の拠点でもある勝興寺にとって、格好な場所だったようです。
近世からは、前田家や本願寺、公家との関係を深め、これらの加護のもと
隆盛を極めることとなりました。約1万坪の広大な敷地に、城郭寺院として
12棟もの大規模建物群を配した伽藍は壮観です。
本堂は江戸時代中期の寛政7年(1795)に西本願寺阿弥陀堂を模して
建てられました。正面五間側面七間、向拝三間、二手先組物、二軒繁垂木、妻飾は二重虹梁大瓶束、入母屋造の大規模な建物で、桁行39.4m・
梁間37.5mもあり、国内8番目の大きさです。平成10年から6年間かけて
行われた修復工事では、屋根の桟瓦葺きは明治時代に変えられたもので、
当初は鉛板葺きだったことが判明しました。金沢城や瑞龍寺のように鉄砲の弾の備蓄として使うために鉛板葺きにしたようですが、修理では環境に
配慮して、鉛に色合いなどが近い亜鉛鋼板で葺かれたようです。
唐門は明治26年に京都の興正寺より移築されたもので、明和6年(1769)
建立の四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅板葺です。
鼓堂は享保18年(1733)に建てられた城郭の櫓風な建物で、
実際に物見櫓として使われており、城郭寺院の片鱗がうかがえます。
その他にも大広間及び式台、台所、書院及び奥書院、宝蔵や経蔵などの
建物群が建ち並んでいます。現在、工事が進められているのは、大広間及び式台、台所、書院及び奥書院で、工程は組立工事でした。私が今回、調査を担当したのは御霊屋で、これから修理を行う上での基本図面の作成のための実測調査と破損状況や仕様・木割などがどのような手法で造られているかの確認です。真夏の実測調査とあって、熱風が噴き出してくる小屋裏の調査は
特に大変でした。今後、宝蔵・鼓堂・経堂などの調査を行い、12棟の
重要文化財すべての修理を順次進め、平成29年度内には工事を終了し、
平成30年4月には、見事に蘇った勝興寺がご覧いただけると思います。
まだまだ、時間がかかりますが、また、訪ねる機会がありましたら、
ご報告したいと思います。