旅の三十一:「地元の味ある建物たち その2」
前回予告しましたように、今回も近代化遺産調査で発見した建物などを紹介したいと思います。
●まずは、『小林邸煉瓦倉庫』(大月市)
前回紹介した旧今井医院を更に西に行った、甲州街道右側の石積の上に、煉瓦積みの倉庫が見えます。一見して重厚そうな煉瓦造。近付いてみると細部も良いんです。イギリス積で窓廻りなどのデザインが良く明治時代の建物だろうなと推察されました。持ち主の小林さんからお話を伺うと、やはりこの倉庫は明治36年頃建てられたそうです。その前年の明治35年に中央線笹子トンネルが竣工。笹子トンネルで使用された煉瓦を譲り受けて建てられたとのことでした。中に入らせていただくと、そこは正に土蔵。漆喰塗りの壁に松の梁。しかし、2階は梁を登り梁にしたトラス造。木造の軸組みにイギリス積の煉瓦造の壁を設け、トラス組の屋根には桟瓦を葺いています。大工さんの蔵の技術と海外の煉瓦積、和洋の伝統がうまく融合した建物でした。
●次は、『旧弁達ホテル』(都留市)
都留市の中心部で、都留簡易裁判所の前に位置しており、明治時代に旅館を開業し、昭和5年に建て替えられた木造3階建ての建物です。都留市の中央部で簡易裁判所の前という立地から、裁判官や弁護士あるいは商人が多く利用していたようですが、昭和62年に廃業。その後は、住宅として使用されています。
外観は入母屋造り、外壁漆喰塗りで、玄関は唐破風と一般的な旅館の造りです。しかし、3階部分は切妻屋根に外壁は下見板張りで、そこの内部が洋室になっているので、少し洋風っぽくしたかったんだろうなと、当時の経営者の方の気持ちが伺われます。
内部も基本的には一般的な旅館で、客室は和室6畳から10畳が合計9室。3階は洋室が2室になっていますが、やはり畳が敷かれています。3階の洋室は高官が良く利用し、この洋室が売りだったからか、「弁達旅館」ではなく「弁達ホテル」と名づけたようです。
●三番目は、『元志村石油店』(上野原市)
前回の大正館にほど近い、甲州街道を少し西に行った右側に元志村石油店があります。かなり以前に廃業したガソリンスタンドで、その後まったく使われておらず、自動車も放置されたままとなっています。したがって、外観で見るしかなく、何の調査もできていませんが、ちょっと興味のある建物です。青い瓦の切妻屋根の右側に突き出したアール状の壁と屋根。屋根は錆で真っ赤ですが、おそらく青かったんでしょう。壁はベージュ色の掻き落とし壁。こちらもおそらくもう少し鮮やかな辛子色だったんじゃないでしょうか?建築年代も解かりませんが、外壁や軒裏をモルタルで塗り込んでおり、雨戸は鉄製。防火上の面からこのような仕上げにしたのでしょうか?そんなこんなで考えると、建築基準法が施行された昭和25年以降、多分昭和30年代の建物ではないかと思います。その当時は、かなり斬新な建物だったんじゃないでしょうか。外観が結構面白いので、内部がどんな風になっているのか興味のある建物です。
●最後に、今は無き『八ッ沢発電所』(上野原市)
近代化遺産の調査が行なわれた際、地元の私は近代化遺産として真っ先に浮かんだのが八ッ沢発電所。明治45年に竣工した発電機棟の調査に伺いたく東京電力に連絡をしたところ、既に解体が決定しているとの事。愕然としたものの、記録だけでも調査をさせてほしいとお願いし、させて頂きました。
八ッ沢発電所はJR中央線を上野原駅より西に行った一本目のトンネルの手前に位置しています。東京駅を設計した辰野金吾氏の設計で明治45年7月竣工した建物は、変圧器棟(上段)と発電機棟(下段)の2棟を2ケ所の渡り廊下で連結した鉄骨煉瓦造。大正3年に大野貯水池が完成し、出力35000Dkwの発電に成功。全国各地に水力発電事業ブームを起す大要因となったそうです。その後、関東大震災でもほとんど被害はなく、昭和48年、変圧器の屋外化に伴い変圧器棟を除去しています。残った発電機棟は、桁行67.4m、梁間20.0m、平屋建一部2階建、切妻造、鉄板瓦棒葺きの大規模な建築で、柱は外壁側に配するだけで、内部は鉄骨トラス梁により大空間をとり、一部に配電盤室を設けています。保存状態も良く、屋根の改修とバットレスによる耐震補強以外はほとんど改造もなく、当初の建物を維持しており、鉄骨煉瓦造建築としても、水力発電事業の歴史を知るうえでも、大変貴重な遺構でした。しかし、築後80年を経過し、耐用年数、耐震性、供給信頼度等の観点から、解体撤去されました。そして、現在は2代目の建物に建て替えられました。
これらの他にも、近代化遺産の調査候補としていくつも推薦しました。例えば、旧上野原郵便局、上野原町農協共済部、等・・・。しかし、これらの建物も既に取り壊されたものが多く、旧上野原郵便局は一徹ラーメンに、上野原町農協共済部は駐車場となっています。時代と共にこれも仕方ないのでしょうが一抹の寂しさもあります。
今後も人知れずひっそりと建っている味のある建物を見つけたいな、と思います。