旅の三十二:「長作の観音堂/小菅村」
今回は私が時々訪ねる、長作(ながさく)の観音堂を紹介したいと思います。
観音堂は、上野原から鶴川沿いに遡った山梨県北都留郡小菅村長作の山間にある、桁行三間、梁間四間、寄棟造りの小さなお堂です。
様式手法などから、平安時代の建立とも言われ、昭和25年、重要文化財に指定されました。平安時代と思わせるのは、住宅風仏堂形式による様式からで、その代表的な建物である、兵庫県加古川の鶴林寺太子堂(国宝、平安時代)や愛知県吉良の金蓮寺弥陀堂(国宝、鎌倉時代)と同じ形式です。その特徴は、写真でも解るように、上代からの寺院建築のような、太い柱に斗きょう(ときょう)を載せて深い軒の出とした豪壮な建築ではなく、平安時代に発達した寝殿造りの住宅建築が、寺院建築に影響を及ぼした造りです。さらに、それまでのような朱塗りや彩色は行わず白木のままとし、屋根は桧皮葺き、開口部は蔀戸(しとみど)とするなど外観も質素です。この住宅風仏堂建築は、主に小規模な阿弥陀堂などに取り入れられましたが、長作の観音堂は、この様式を良く残した関東唯一の、大変貴重な建物です。私、個人的には国宝にしてもおかしくない建物だと思いますよ!
そんな訳で、みなさん、写真を良く眺めてください。柔らかくしなやかな軒反り。観る人に清楚で落ち着いた印象を与えるのは、木割りや細部のディテールによるものです。四角い柱や桁などは大きな面を取り、斗きょうは無く船肘木(ふなひじき)のみとし、化粧垂木は疎ら垂木(まばらだるき)。これらも大きな面が取ってあります。この大きな面取りも平安から鎌倉時代の特徴で、面を大きくすることによって角の取れた、柔らかみのある優美さが、かもし出されてます。
また、昭和38年に行われた解体修理工事の報告書によると、復原調査で、棟の長さを通常より長くするため隅木は「振れ隅」とし、母屋を片持ち梁状に持ち出した特異な構法などの痕跡が確認されているようです(「振れ隅」とは?:通常、屋根の隅木は桁と桁の出隅の部分に45度の角度に入れ、屋根の各面は同じ勾配とします。振れ隅は、その正面の棟の長さを長くしたり、あるいは正方形の建物の場合、通常、棟は無く宝形となるのですが、棟を付けるためにするもので、結果として屋根が意匠上軽くなり過ぎないよう、重厚感をもたせるために行うものです)。この他にも数々の痕跡や工法、あるいは船肘木や繋虹梁(つなぎこうりょう)の形状、面の大きさなどから考察した結果、建立年代は鎌倉時代中期以前にはさかのぼらず、室町以降にはさがらない、とあります。したがって、鎌倉時代後期となるようです。
創立沿革について、文献や資料となるものは見つかっていないようですが、本尊の如意輪観音菩薩像は聖徳太子の手作りと伝えられており、創立は奈良時代なのか平安時代なのか、判断が分かれるところです。いずれにせよ、京の都で発達した文化が、平安から鎌倉時代の一世紀あまりをかけて、遠い小菅の山奥まで伝わったことは確かです。
このような素晴らしい建築は、私たちの近くにも、時を越えて現在に残されています。折りしも、ちまたでは、今、桜が満開。この観音さんの御開帳の5月3日は、例年、小菅の桜が満開です。私は毎年ご挨拶に伺っていますが、皆さんも機会がありましたら訪ねてみてはいかがでしょう?そして、細部の隅々までめでていただきたいなと思います。
そうそう、長作より上野原側の部落、飯尾に坪山と言う山があります。おそらく、ここの日陰つつじが、今、見ごろではないでしょうか?春爛漫の今日この頃、可憐な花と美しいお堂を眺めて、優雅なひと時を過ごせたら最高でしょうね!そんなこんなの長作の観音堂。たくさんの方に観ていただき、その良さを知っていただきたいな、と思います。