旅の三十三:「住宅風仏堂建築」
前回、関東唯一の住宅風仏堂建築「長作の観音堂」をご紹介しました。そこで今回は、私の記憶に残る、全国レベルの代表的な住宅風仏堂建築を紹介したいと思います。
まずは、京都の法界寺阿弥陀堂。
鎌倉初期建立の阿弥陀堂建築で国宝。方七間(桁行、梁間共7間)裳階(もこし※)付宝形造。以前紹介した宮島の厳島神社や(旅の十四をご覧ください)平等院鳳凰堂と同じように、正面中央部の庇が一段上がった形式の寝殿造り様式を採り入れた美堂です。五間五間の身舎の廻りに一間の裳階を付け、身舎正面の柱間装置は蔀戸を設けています。柱には大きな面を取り、斗きょうは平三斗(ひらみつど)で平安時代の建築の特徴を残した建物です。
(※裳階とは軒下に付ける庇のことで、例えば、薬師寺三重塔は六段に見えますが、屋根下の小さな屋根を裳階といいます)
次は和歌山県高野山の金剛峰寺不動堂。
鎌倉初期、建久8年(1197)の建立で国宝。正面五間、側面四間、向拝一間、入母屋造、桧皮葺き。三間堂の身舎の両側面に縋破風(すがるはふう)で庇を付けた形式。身舎正面の柱間装置は蔀戸を付け、斗きょうは出三斗(でみつど)としています。斗きょうと斗きょうの間の中備(なかぞなえ)は蟇又(かえるまた)で鎌倉時代の特徴を良く出しています。
三番目は法隆寺の聖霊院。
鎌倉中期の弘安7年(1284)に旧僧房の東室を改造した建物でこちらも国宝。正面五間、側面七間、妻入、切妻造、本瓦葺きの身舎の正面一間通りに庇と向拝を付けています。正面の斗きょうは平三斗、側面は出三斗とし、庇は船肘木にしています。また、妻飾りは叉首組(さすぐみ)で、金剛峰寺不動堂も写真では見えませんが同じです。
ここまで、前回と併せて六件の住宅風仏堂建築を紹介しました。
このような寝殿造りの影響は仏堂だけではなく、実は神社建築にもおよんでいます。もちろん、宮島の厳島神社はその代表的な例なんですが、しかし、神社建築本殿の場合は、神明造(しんめいづくり)や大社造(たいしゃづくり)、流れ造(ながれづくり)などといった神社建築の確立した様式があるため、あまり顕著な影響は見受けらません。それでも拝殿などには、いくつか影響を受けた例が残されています。
では、神社の住宅風建築から、まず京都の宇治上神社拝殿をご紹介します。
鎌倉時代前期の建立で国宝。正面八間側面三間、切妻造で両端に縋破風の庇を付けた形式。庇部分の柱には船肘木を載せ、化粧垂木は疎ら垂木とし、妻飾りは木連格子(きづれごうし)で、棟には獅子口(ししぐち)が載っています。すがすがしさをも感じさせる軒反りと縋破風、その流麗な桧皮屋根はお見事!すばらしいです。
そうそう、この宇治上神社の本殿は、平安時代後期の流れ造で日本最古の神社建築なんです。また、機会があったら詳しい説明をします。
次に、京都の醍醐寺(上醍醐)清滝宮拝殿。
室町時代中期、永享6年(1434)の建立で国宝。正面三間側面七間、桧皮葺入母屋造に、正面三間は軒唐破風の向拝を付け、妻飾りはこちらも木連格子。棟にはやはり獅子口が載っています。
以上が私の思い出した寝殿造りの影響を強く受けた建築です。お気づきでしょうが、長作の観音堂以外は全て国宝です。その理由としては、恐らくこのような遺構は、非常に少なく、そして何よりもその意匠が斬新で美しいからではないでしょうか。前回も説明したように質素な造りではありますが、身舎から庇を出したり、裳階を付けるなど、軒を低くするための手法はデザイン的にも技術的にも素晴らしく、落ち着いた優雅な雰囲気を出すための工夫が随所に見受けられます。
派手さがないぶん、一般の観光客にはあまり知られてないお寺やお宮ばかりですが、日本建築の水準の高さや日本人の美意識を知る上でも、機会がありましたら、ぜひ観て頂きたい建築です。