「棟梁との建築行脚道中記/京都」
前回に引き続いて、二日目、京都のお寺を紹介いたします。
京都では、臨済宗の三ヶ寺、妙心寺、大徳寺、南禅寺を見学しました。日本の禅宗には宗派が三つあり、臨済宗、曹洞宗、そして黄檗宗です。同じ禅宗ですから、それぞれの宗派によって伽藍や様式など若干の差異こそあれ、大きな違いはありません。それでも「臨済将軍、曹洞土民」といわれたように、壇信徒の権力や財力の差から、臨済宗と曹洞宗の寺院には、おのずと豪華さなどに差があるのは否めないかな。とにかくそんな訳で京都には臨済宗が多いです。
それではまず、妙心寺。臨済宗妙心寺派の大本山で、建武2年(1335)花園法皇の開基、無相大師の開山。臨済宗の中で最も大きな門派の本山です。妙心寺では法堂(はっとう)を中心に見てきました。法堂は江戸時代前期の明暦3年(1657)に建てられた、桁行五間、梁間四間、一重裳階(もこし)付、入母屋造、本瓦葺の大きな建物です。上部の軒は禅宗特有の強い反りの扇垂木。軒を支える斗きょうは詰組といって、柱の上部以外に柱間にも斗きょうを載せています。裳階は軒反りも弱く、軽快感をもたせ、上部の重厚さをより強調させた意匠としています。細部は木鼻の彫りや桟唐戸の意匠と納まりなど、禅宗の特徴を入念に見させて頂きました。
次は大徳寺。臨済宗大徳寺派の大本山で、正中2年(1325)宗峰妙超の創立。大徳寺は一休和尚や沢庵和尚などの名僧を輩出し、千利休をはじめ多くの茶人と関係をもっており、塔頭(たっちゅう)には有名な茶室が多く残されています。大徳寺でも法堂を中心に見ました。江戸時代初期の寛永13年(1636)に建てられた、桁行五間、梁間四間、一重裳階付、入母屋造、本瓦葺で、妙心寺法堂よりやや小ぶりの建物です。上部は、詰組に扇垂木、そして強い軒反りと、妙心寺法堂とほぼ同じ形式ですが、写真で比較してもわかるように、それぞれが少し柔らかめな落ち着いた意匠となっています。木鼻など細部意匠においても同様です。小さなものが組み上がって全体を形成するので当然なんですが。ちなみに私はこちらの大徳寺の方が好きなんです。そして、最後に南禅寺。歌舞伎の楼門五三桐(さんもんごさんのきり)で石川五右衛門が絶景かなと見栄を切るシーンに登場することで有名な門のあるお寺で、臨済宗南禅寺派の大本山です。正応4年(1291)亀山法皇の開基、無関普門の開山で、皇室の発願による別格扱いの寺院で、禅宗寺院の中で最高の地位の格式を誇っていました。南禅寺では三門を見ました。江戸時代初期の寛永5年(1628)に建てられた、5間3戸2階二重門、入母屋造、本瓦葺の建物です。本堂の参考になぜ門なの?と思うでしょう。それは細部意匠。禅宗の建物には縁の付く建物が少なく、縁があっても方丈建築で高欄の無い場合が多く、二重門の縁高欄や金閣寺の三層の縁高欄に付いてるくらいで、参考例が少ないんです。というわけで、ここでは特に高欄の逆蓮頭などのデザインを参考に見させて頂きました。
と書くと「禅宗には縁の付く建物が少ないのに、何故、保福寺では縁を付けるの?」って質問が来そうなので、あらかじめお答えしちゃいます。現代の禅宗の本堂は、仏殿(本尊を安置する建物)と法堂(僧侶が仏教を講義する建物)をミックスさせ、方丈のような使い方をしており、参拝のための向拝も付けている建物が多くなっています。したがって、おのずと、縁、高欄が付くようになってきたようなんですね。そんな流れから、保福寺でも同様なご希望で縁を付けることになったというわけです。
このように二日間にわたって、天台宗と臨済宗のお寺を見てきたわけですが、一日目は、建物全体のバランスなどを、二日目は、禅宗の研ぎ澄まされたようなディテールを中心に見させて頂きました。今までたくさんの社寺建築を見ては来ていても、特に何かを絞り込んで見てきたわけではないので、今回は、納まりやディテールなどいろんな面で大変勉強になりました。また、棟梁との意思の疎通も充分行えました。そして、何よりも価値観と言うか美意識が同じだったことがすごく嬉しいです。きっと、いや、絶対、いい建物が出来そうで、これからの毎日が楽しみでなりません。保福寺本堂についてはいずれまた、進捗状態に応じて報告したいと思います。