「保福寺本堂解体式 / 上野原市」
先日の2月23日、上野原の保福寺で、本堂を新築するにあたって、現在の本堂の解体式が盛大に執り行なわれました。今回はその解体式について書きたいと思います。
保福寺本堂新築については、この旅日記の中でも何度か触れていますが、まず、簡単におさらいをします。
保福寺は室町時代の天正10年(1582)に加藤丹後守景忠公の開基により、深向院4世、日州宗運大和尚が開山しました。創建時には七堂伽藍があったようですが、宝暦元年(1751)に火災で焼失、現在の本堂は、宝暦5年(1755)に再建されたものです。桁行十一間、梁間八間、寄棟造鉄板瓦棒葺きの大きな建物です。近年、老朽化により傷みが激しいうえ、耐震性も悪く倒壊の危険性が高いため、再建することになりました。すでに設計は終了し、工事を担当する業者も、保福寺の本山である福井永平寺御用達の藤田社寺建設株式会社に決定しています。現在は木材の調達、原寸図の作成等を行っているところですが、いよいよ現地において造成工事や基礎工事に着手するため、本堂の解体撤去に先がけて解体式を行ったものです。
本堂の解体に際しての法要は、一般的には檀徒総代の役員さん達と、お付き合いの深いお寺の住職さんを招いた、いわゆる身内で行うことが多いのですが、今回の保福寺では、長い間親しんできた本堂とのお別れですから、たくさんの方々と共にお別れをしたいとのことと、せっかく大勢が集まる機会ですから、約50年という長い間秘仏として御開帳しなかった半僧さんを御開帳して、御利益を多くの人達に授けるために、檀徒だけではなく一般市民も参加してほしいとの思いから盛大に行うことになりました。
午後1時の開式のあと、本堂解体祈祷を行い、私たちもお焼香をしました。その後、おごそかに御本尊地蔵菩薩様の遷座です。絹垣で囲いをつくった中に御本尊様を抱えた檀徒さんが入り、ゆっくりと仮本堂の客殿に移動します。檀徒の皆さんが手を合わせ見つめる中、りんの音とともに静かに動く絹垣はまさに厳粛な儀式でした。
御本尊様が御遷座されたあとは、秘仏の半僧坊大権現様の御開帳です。半僧坊大権現様は一般に半僧さまと呼ばれています。半僧さまは身を天狗に変じたとされており、天狗さまとも呼ばれています。そのご分身が宝暦年間の本堂再建後に秘仏として分祀され、長く信仰されましたが、この約50年間は秘仏として御開帳されませんでした。その半僧さまの御開帳です。先ほどの厳かな御遷座式とは一転して、太鼓の音が高らかに打ち鳴らされる中、白布が放たれ、読経と太鼓が御堂を振るわす雰囲気での秘仏拝見です。一瞬ですが、拝見した半僧さまはほんとに天狗のように鼻が高かったです。半僧さまの御開帳には延々と400名にもおよぶ人々が参拝し、御利益を授かりました(なお、半僧様は秘仏ゆえ写真撮影は禁止。ここにも掲載できませんことを悪しからずご了承ください)。
その後、解体式は閉式し、直会(なおらい)になると、境内ではおでんや天狗粥がふるまわれ、本堂の中では余興の演芸が華を添えました。
たくさんの人たちが参加して行われた本堂解体式。春彼岸が明けたら解体工事に取り掛かります。これからも皆さんに見つめられながら工事を行っていきます。どうぞよろしくお願いいたします。