「保福寺本堂 木割とディテールデザイン」
保福寺本堂は、建具のほとんどの取り付けが完了、防犯上の安全が確保されましたので仮囲いの必要性が無くなり、撤去されました。これで建物全体が障害物もなく観られるようになりました。現在は台所と納戸、開山堂の内装工事、そして、木工事は高欄の組立が行われています。
今回は、本堂の完成も間近となりましたので、これまでにデザインしてきた各部位の細部意匠について、ほんの一部ですがご紹介したいと思います。
まず、本堂全体について。社寺建築には、建物の各部材の大きさや長さなどの寸法を、一定の基準によって定める「木割」と呼ばれるシステムがあります。保福寺本堂では、創建当初の天正年間、即ち室町時代の「中世の型式」で建てたいというコンセプトがありましたので、中世の禅宗様式の木割に基づいて設計を行っています。木割では、柱間寸法と柱の大きさの比例などにより、各種部材寸法を算出します。たとえば、垂木を並べ、隣の垂木までの一組の幅を一枝(いっし)と言いますが、これを基本寸法として、斗きょうの六枝掛(ろくしがけ:組物の基本である三つの斗に六本の垂木を掛ける)や、柱間を十枝や十二枝など変化を持たせ、斗きょう間隔や柱間隔の微妙なバランスで、建物の遠近感を図り、より美しく見えるようにしています。
また、建物の四隅の柱を伸ばした、隅伸びと言う工法も採用しています。隅柱を伸ばすことにより軒が捻じれ、建物の中央部から軒が反り上がり、軒廻りの軽快感を醸し出すことができます。その他にも多種多様な中世の木割や手法を採用することによって、現代の社寺建築では失われてしまった、優美さの中に力強さを兼ね備えた本堂の姿を演出しています。
さらに、各部位の細部意匠にも、各時代や様式によってデザインの特徴があります。礎盤は、禅宗様建築の礎石で、向拝柱の大面取りに合わせて礎盤にも面を付けました。海老虹梁は、元では太くて力強く、先端は細く、しなやかな曲線としています。鬼板は、近世以降、現代よく見られるような複雑な形になったのですが、保福寺では中世風のあっさりしたものにしました。懸魚(げぎょ)は猪の目懸魚を採用し、六葉(ろくよう)も木製です。格狭間は、禅宗建築で使われている蝙蝠型をデザインしています。欄間は、禅宗様の波欄間とし、欄間から射し込む日の光が炎のように映ることから火炎欄間とも言われており、中央部には宝珠をデザインしました。縁の高欄には、逆蓮と握り蓮の禅宗様式の型式を採り入れました。本来の禅宗様建築は、床が四半敷と言う四角い瓦を敷いた土間で、縁は付きませんが、法堂と仏殿の機能を併せ持つ現代の本堂の性格上、高床の床を設けなければならず、縁を設けたデザインをしました。現在、高欄を組立中です。高欄が出来上がれば、外部は完成です。もう少しだけお待ちください。
以上、簡単に説明しましたが、日本建築は奥が深くて、詳しいところまでは、ここではとても説明しきれません。しかし、とりあえず、内面からそこはかとにじみ出てくるような、力強くて優しい姿を、見て、感じて頂けたら幸いです。