旅の十一:「三佛寺投入堂/三朝」
「三佛寺投入堂」いつだったか、岩窟にたたずむ写真を見たときから、実際にこの目で見てみたい!と思い続けていました。そしてそれは突然やってきました。
武生に住んでいた頃、友達4人で鳥取砂丘と大山に行こう!と言うことになり、夜の日本海沿いを走りながら私は、密かに、鳥取に行くんだから投入堂は見たいなと思っていました。鳥取砂丘と大山に行った後、みんなに、お寺に行こう!と誘い、有無を言わせず連れてっちゃいました。
三朝温泉から川沿いに登った険しい山の中に、三徳山三佛寺はありました。三佛寺は役行者(役小角)が開いた修験道場です。目指す投入堂は地図で見ると、かなり奥のよう。でもここまで来たのに投入堂を見ないわけにはいきません。険しい登山道のような道とは言えない道を、木の根につかまりながらよじ登り、どれくらい登ったんだろうか?文殊堂にやっと到着。そして地蔵堂もすぐ先にありました。文殊堂はこけら葺入母屋造で背面に唐破風を付けた美しいお堂で、桃山時代の天正8年(1580)建立です。地蔵堂も文殊堂と殆んど同じ外観の室町時代後期の建物です。こんな山の上に懸造りで建ててあるけど、どうやって建てたんだろう?風に飛ばされないんだろうか?などと想いを廻らせながら一息つき。さて、もうひと踏張して登るぞと、さらに険しい山道の鎖の付いた岩場などを登り、みんなからはまるで登山やなと言われ、水も持たず軍手も無く、まあ、良く登りました。やっとたどり着いた三徳山の中腹に投入堂は建っていました。いや、建っていると言うより岩窟に嵌り込んで一体化したような実に不思議な、写真で見るのとは、また、違った印象を受けました。小さい建物なのに、迫力と言うか威厳さがあり、それでいて優美な雰囲気もかもし出している。まったくすごい建築です。投入堂は平安時代後期の建立で、正面一間側面二間の流造の両側に庇を付け、屋根は桧皮葺でした。正面一間側面二間ともに3.9m。庇は1.5mでしたので、庇を入れても間口6.9m奥行3.9mの大きさです。文殊堂や地蔵堂でも感じたように、どうやってこんな険しい山の中に建てたんだろう?まさに役行者が法力をもって投入れたと伝えられるように、とても人間業とは思えませんでした。友人達も、この建物には、すごく驚いたようでした。私はしばし眺めながら、しかし、良く残ってくれたな!後世に残さなあかんな!と強く想った事を、今また、しみじみと思い出します。そして、別れを惜しみつつ岩場を降り帰路となりました。
近年、それぞれの建物の傷みがひどくなり、昨年7月より4ヵ年かけて修理工事に着手しています。初年度は資材運搬用モノレールの設置工事などで、今年度より地蔵堂、文殊堂、納経堂と投入堂の屋根葺替えと部分修理を順次行います。先輩が工事の担当をしていますので、久しぶりに訪ねて目の当たりに見たいなと思っている今日この頃です。
また、三徳山周辺では今、世界遺産に登録しようと運動が高まってるようです。三徳山周辺は名勝・旧跡に指定され、特に三佛寺周辺は厳正保全区域となっているため、レッドデータブックに記載されている稀少動植物が多数生息し、歴史的建造物と自然が共存しながら残ったこの環境を、次世代に伝えるために、私も応援したいなと思います。