旅の十三:「浄土寺浄土堂/小野」
一ヶ月以上ご無沙汰して申し訳ありません。確か前回UPした時は、まだ3900台のカウントだったと記憶していましたのが、もう4060。ホント申し訳ありませんでした。
先月は文化財の調査で、実測と図面作成で追われまくっていました。これに関しては、またいつの日か書きたいと思います。
さて、今回は何を書こうかと、先程から考えていましたら、ふと、浄土堂が頭を過ぎりましたので、今回は兵庫県小野市の浄土寺浄土堂をご紹介します。
私の浄土堂の第一印象はエッ???って感じでした。
直線的な軒の宝形屋根に朱塗りの柱と扉。
その外観のあまりの質素さに「これが国宝の浄土堂?」という思いが湧いたのです。
ただ、質素ながらも、それでいてなんか重みのある雰囲気に、これまでのお寺とは明らかに違う何かを感じたのも事実です。
だけど内部に入ると、また違う驚きが!
朱塗りの豪快な架構の空間の、そこは、まるで別世界だったのです。
思わず「ワッ、スゲー!」と驚嘆する私。今もこうして写真を観ると、二十数年前のその当時の衝撃が思い出されます。
浄土寺は、もともと行基が開創した広渡寺が兵火により荒廃していたのを、重源が東大寺再建の経済的拠点として播磨別所浄土寺を建立したもの。
重源は宋に渡って仏教を研究し、東大寺再建の際、大勧進となり、その大仏殿を建てるためのモデルとして浄土堂を建てたといわれています。
その浄土堂は、鎌倉時代初期の建久3年(1192)の建立で、天竺様(てんじくよう/大仏様ともいいます)の建築様式をほぼ完全に伝えています。
その構造は他様式の斗のように柱上の大斗から成っておらず、太い円柱に肘木を挿し、斗に皿斗という特殊な繰型の付いた斗を配しています。
そして、その上部に丸い断面の虹梁を架けて組み上げた、天井の無い、所謂、構造体だけの建築です。本尊の阿弥陀如来を据えてから覆うように建てられています。この工法が、大仏殿のモデルケースといわれている所以です。
さらに、隅扇垂木で垂木の先端に鼻隠板を付けた直線の軒廻り、肘木や貫・虹梁などの鼻の、鼻繰という独特の繰型などにもその特長がでています。
その装飾性の少ないすっきりした外観からは、内部に構造体を豪快に組み上げた空間があることは、私でなくとも想像がつかないことでしょう。
同じ大仏様で建てられた建物は、他に東大寺の大仏殿と南大門、醍醐寺経蔵などがあったようですが、残っているのはこの浄土堂と東大寺南大門だけです。
東大寺南大門は観られた方も多いと思いますが、浄土堂はそれとはぜんぜん違った印象の建物です。
機会がありましたら是非、観て頂きたい建物のひとつです。