旅の百十七:「藤村記念館/山梨県甲府市」
今回は、前回に引き続いて擬洋風学校の建築、旧睦沢学校(藤村記念館)をご紹介します。
旧睦沢学校は、現在、山梨県甲府市の甲府駅北口
よっちゃばれ広場に所在します。明治7年(1874)12月に山梨県睦沢村亀沢(現、甲斐市亀沢)に起工。設計施工は下山大工(身延町)の棟梁・松木輝殷が行い、翌、明治8年に竣工し、
睦沢学校として開校しました。
その後、昭和32年から5年間、睦沢公民館として使われ、
昭和41年、老朽化により解体撤去寸前のところを、旧睦沢学校校舎保存委員会により武田神社境内に移築。翌、昭和42年に重要文化財「旧睦沢学校」として指定されました。
昭和44年には郷土資料館として藤村記念館と命名。
この名前の由来は、明治初期、当時の山梨県令・藤村紫朗が擬洋風建築を積極的に取り入れて、官公庁、学校、住宅など100件以上を建築しましたが、これらが藤村式建築と呼ばれ、その中で残された数少ない建築として命名されたものです。
私は、甲府駅北口の再開発に伴い、再び移築が決定した際の調査に携わらせて頂きました。
藤村記念館は前記したとおり明治初期の擬洋風建築で、
木造2階建、外装漆喰塗大壁、宝形造、桟瓦葺、
中央部搭屋付の、桁行13.6m・梁間13.6m、バルコニーから正面玄関のポーチが突出した、コロニアル様式の建物です。
中央部の搭屋には、当時、太鼓が吊るされており、時を告げていたようです。外装は建物の四隅と腰を石造出しとした
漆喰塗り大壁。窓は内部にガラス入りの開き戸、
外部に桟唐戸を付けています。小屋組は和小屋で架構され、壁は竹木舞の土壁です。
今回の移築修理では、耐震補強と復原を行っています。
耐震補強は写真にあるように鉄骨やホールダウン金物で
補強を行ないました。バルコニーの柱や手摺、扉や窓の
桟唐戸はライトグリーンで塗られていましたが、解体調査で
塗装の詳細な調査をした結果、当初は黒っぽい墨塗りだった
ことが判明し、そのように復原されました。その結果、
武田神社にある時は明るいイメージの建物だったのですが、
現在はちょっとシックで引き締まったような感じの建物に
なりました。
甲府駅北口には県立図書館も完成。甲府城の整備も進み、
鉄門(くろがねもん)の復元工事も完成に近づき、素屋根も
解体され建物が現れました。よっちゃばれ広場では、いろんなイベントも行われているようです。甲府駅に行かれた折には、
訪ねて頂ければ幸いです。