旅の百十八:「八事山興正寺/愛知県名古屋市」
みなさん、ご無沙汰してました。
遅ればせながら、新年、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今回は、昨年、現況調査が終了した、名古屋の八事山
興正寺をご紹介します。
興正寺は愛知県名古屋市昭和区の市街地に広い境内を有し、境内の一部には中京大学のある高野山真言宗別格本山の
寺院です。
江戸時代前期の貞享3年(1686)、天瑞圓照和尚が八事の山に庵を結んだのが始まりとされ、その噂を耳にした尾張徳川家
二代目光友公が天瑞和尚を城に呼びよせ、登城した和尚が
法を説いたところ、光友公は深い感銘を受けて帰依され、
元禄元年(1688)、八事山遍照院興正律寺の号による
伽藍建立が許可されました。山内は東山遍照院と
西山普門院に分け、東山遍照院には大師堂、不動堂、方丈、
食堂、宝蔵など。西山普門院には阿弥陀堂、観音堂、方丈、
食堂、客寮などが建てられ、元禄10年(1697)4月17日に、
ご本尊大日如来の開眼供養が3日3夜行われたとされて
います。その後も、尾張徳川家の祈願寺としてご加護を
受けてきたようです。
山内には、現在、寛延3年(1750)に第五世諦忍和尚が
真言念仏の教えのため建立した、阿弥陀堂(現、本堂)。
文化2年(1802)、第七世真隆和尚の発願により御浄財を
集め始めて文化5年(1805)に建てられた、東海地区で
唯一の五重塔(重要文化財)などがあります。
昨年、調査を依頼されたのは、西山普門院の中にある
大書院という建物で、耐震診断のための現状調査でした。
大正7年に建立し、昭和に増築された、桁行32.9m、
梁間11.41mの大きな建物で、木造平屋建、切妻造、桟瓦葺
一部庇銅板葺です。平面構成は、二間・四間の16畳間が
三室、三間・四間の24畳間が三室に床の間が取り付き、
その周囲に廊下を廻らせ、6室は建具で仕切られている
ものの、建具を取り外すと120畳、廻り廊下を含めると
150畳以上の大広間になる、正に大書院です。
大正7年に建てられたのは、向かって左手の、二間・四間の
三室で、右側の三間・四間の三室は昭和に増築されたもの
です。大書院は壁が少ない割には、しっかりしており、
小屋組は両方とも和小屋で、大正時代の方はトラス組を
補強に用いていましたが、昭和時代は、トラスを用いて
いませんでした。それだけでは無いのですが、小屋組の架構を含め、私の印象としては、大正時代の方がしっかり造って
いるなと感じました。
今後、耐震診断と耐震補強案を策定し大書院の保存計画を
行うものと思います。皆様も名古屋を訪れた折には、
尾張徳川家の菩提寺・建中寺と共に、尾張徳川家とゆかりの深い、興正寺も思い出して訪ねて頂けたら幸いです。