旅の四十六:「外川家保存修理工事完成・前篇」
年度末締めの設計や工事監理も無事終了し、ちょっとだけ落ち着きました。
今回は先日完成したばかりの富士吉田市指定文化財「外川家住宅保存修理工事」について、前編後篇の2回に分けて紹介したいと思います。
富士山信仰に関わる「御師」の住宅である外川家とその保存修理工事の概要については「旅の四十一:外川家保存修理工事」で説明していますので、
そちらをご覧いただくことにして、今回は工事の中身について説明したいと
思います。
工事は解体工事から始まりました。昭和40年頃の状態に復原する修理方針のため、まずそれ以降に増築された主屋の勝手部分と離れ座敷の物置を解体撤去しました。
その後、床の破損状況をチェックして番付を打ち(※解体し補修した後、元の位置に復旧するため、解体する全ての部材に、どこの部材か一目で解るように番号札を付けます)床板を解体。さらに、床組の不陸(平坦でないこと)を
見ながら柱脚の腐朽している部分を除去し、新規補足材を継ぐ「柱根継ぎ」を行います。貫・大引・根太なども同様に痛んでる部分のみを取り替えました。
文化財は、その文化財を構成している全ての部材が文化財という観点から、基本的にすべての部材を残すぐらい気持で最小限の取り替えに留めてることっとなっているからです。
床組の補修は、床の水平、軸部の垂直などを調整しながら行い、防腐防蟻剤を塗布しました。地盤についても防蟻剤の散布を行い蟻害対策を施しました。
床組工事と並行して、屋根に葺かれている鉄板葺きを解体撤去すると、主屋の屋根下地には、土居葺き(どいぶき:長さ30cm・幅約15cm・厚さ3mmの手割板を、葺き足約6cmで重ねて葺く)が残されていました。屋根工法などの調査を行ったところ、この葺き足は一般的な2寸(6cm)ではなく3寸(9cm)であり、
土居葺きの状態は、軒先など建物本体より外に出ている部分の破損がひどいことなどが確認できました。また、当初はこの土居葺き自体が仕上げの板葺き屋根と考えられました(※土居葺きとは本来、瓦葺きの下に葺く下葺きのことで、瓦葺きの隙間から多少雨が漏ってもこの土居葺きで防ぐためのものです。いわゆる現在のアスファルトルーフィングに代わるものです。土居葺きを仕上げにした場合は土居葺きとは言わず板葺きと言います。そして地方によっては、葺き板が飛ばされないよう石を置いた「石置き屋根」、山梨県東部の大月あたりでは、葺き板の上を丸竹で押えた「笹葺き」と呼ばれているものなどが
あります。外川家も当初は恐らく笹葺きのような工法だったのではないかと考えられます)。
離れ座敷、渡り廊下の屋根も同様に解体行いましたが、こちらでは土居葺きは確認できませんでした。当初は土居葺きだったはずですが、鉄板葺きに変えた時に土居葺きの痛みが激しかったためなどの理由で野地板のみに変えられたものと考えられます。
主屋の土居葺きは痛みの激しい軒先廻りを主に撤去。下地の野地や垂木の補修を行い、新規補足材の土居葺きで葺き替えました。離れ座敷、渡り廊下では土居葺きの復原は行わず、現状維持として補強に構造用合板を敷き込みアスファルトルーフィングの下葺きとしました。
このように屋根の下地が終わり、仕上げの屋根は現状通りの瓦棒葺きとしました。しかし、材質は鉄板ではなく錆びにくいガルバリュウム鋼板とし、色は従来にならい赤。瓦棒も従来にならって三角形の形状にしました。
床組をしっかり固め軸部のよろびを解消させて、屋根を葺き替えたことにより、
今回の工事目的のほぼ半分が終わりました。
次回の後編では壁などの工事について書きたいと思います。