旅の四十四:「平城京大極殿復元工事/奈良」
前回に引き続き、昨年の暮れ訪ねた奈良をご紹介したいと思います。
奈良では唐招提寺金堂の平成大修理と、もう一つ国家プロジェクトで平城京
遷都1300年記念事業として、大極殿の復元工事を行っています。
その工事現場を見学しました。
8年ほど前にも平城京朱雀門復元工事を見学したのですが、大極殿の規模は朱雀門とは比較にならない大きさで、朱雀門から見る「素屋根」の大きさに
圧倒されました。設計監理をしている文化財建造物保存技術協会の加藤さん(ちなみに彼は私と同期入社で今は所長。そのご縁で今回の見学をお願い
しました)に案内していただいて、まずは原寸場。
原寸場もものすごい広さで、そこには矩計(かなばかり)や規矩図(きくず)が
描かれていました。法隆寺や薬師寺東塔、海龍王寺五重塔の奈良時代の
建築を参考にして描いたそうですが、何度も描き直した跡があります。
この、学者の先生たちの意見を聴きながらの何度もの訂正には大変な
ご苦労があったようです。
木材置き場には、広い倉庫の片隅に桧材がわずかに積まれて残って
いました。わずかといってもかなりの量ですよ!一時は倉庫一杯に木材が
置かれていたかと思うと凄いです。そのあと木材加工場を見学してから
いよいよ素屋根の内部に。
平城京跡は国の特別史跡に指定されていますので、素屋根の建設にも大変苦労されたようです。素屋根とは風雨を防ぐための「覆い屋」のことで、
この中で木部の組み立てや屋根工事を行うためのもの。こうした工事は埋蔵文化財を壊さないように行わなければならないのですが、大極殿の基礎に
ついても同様です。大極殿は発掘調査に基づいて同じ位置に建ててるのですが、高さのレベルは数10cm上にし、遺構はそのまま残してるとのことです。
素屋根の中に入るとまずは基礎を見せていただきました。外部からは基壇にみせていますが、実際は基礎でコンクリートの外壁の中に柱脚が建ち、
免震装置を載せ、コンクリートの梁と床版を受けていました。そしてその上に
大極殿がどっしりと載っています。
本体の工事では二層部の屋根下地の組み立て作業が行われていました。
ここで奈良時代の特徴である『化粧垂木イコール屋根下地』を目の当たりにし「単純明快で原始的な工法だよな!でも、これで屋根に深みを持たせながら、軽快さも雄大さも表現できるんだな」と、先人のセンスに感嘆しつつ、
しばし眺め入りました(ちなみに鎌倉時代以降は、軒の下がるのを防ぐため、化粧垂木の上部に桔木(はねぎ)を入れ、その上に屋根を葺くための野垂木を組み、要するにテコの原理で軒先を上げる工法が発達しています)。
化粧部分には既に丹土(につち)と言う紅い土の塗料や胡粉の白色が塗られており「完成したらさぞかし目立つ奈良のシンボルになるだろうな」と思わせて
くれる、壮大な奈良時代の建築手法を現代の技術で再現させる
大プロジェクト。こうした工事、今は機械の技術が進歩し、お金をかければ
出来てしまうのでしょうが、奈良時代の先人達は人力でどうやって建てたのだろうと、古代人の深い知恵と力に想いを馳せた見学会でした。
さて、平城京に程近い北西に秋篠寺があります。私は10年ほど前に訪ねた
きりだったのですが、あの優しい落ち着いた雰囲気と、建築というある意味、
芸術を志す仲間に、伎芸天像を見てもらいたく、ここも訪ねました。
秋篠寺は奈良時代に建立された寺院で、平安時代に伽藍を焼失し、雑木林の中に残る金堂や東西両塔の礎石から往事がうかがえます。
現在の本堂は、鎌倉時代に再建されたものですが、奈良時代の建築を
思わせる様式を残した、寄棟造、本瓦葺きの優美な建築です。
本堂内に安置されている伎芸天は頭部が奈良時代の乾漆造で、その優しく
柔和な表情がたまらなく、私の好きな仏像のひとつです。伎芸天は技能芸能の守護神とされています。静かなたたずまいのお寺です。機会がありましたら
訪ねてみてください。
秋篠寺とは一変して、次は薬師寺。みんなが観たいとのことで訪ねました。
こちらは西塔再建当時から何度も訪ねており、その頃は西岡棟梁もご存命で、いろいろお話をうかがったことなど思い出しました。金堂・西塔・講堂・回廊と伽藍のほとんどが再建され、奈良時代の創建当初に復元されました。
みなさんも一度は訪ねてるお寺だど思いますので説明は省きます。
現在の薬師寺を写真でご覧ください。
※ 大極殿復元工事の写真は掲載不可とのことですのでご了承ください。