旅の十二:「山陰の旅路」
前回の三佛寺に引き続き山陰の旅路をしたためます。
約4年前の10月。建築士会全国大会鳥取大会が米子で開催され参加した折に、久しぶりに訪れた山陰でした。
おりしもこの頃は、出雲大社で古代神殿の掘立て柱の一部が見つかり、発掘作業を行っていると報道されていました。
出雲大社本殿は、古事記や日本書紀などの文献で、高大な建物でその高さは大仏殿の十五丈(45m)よりも高かったとされています。しかし、それはあくまでも伝説で、まさか、そんな巨大な柱が見つかるなんて信じられなかったのですが、その巨大な柱は直径1.3mの柱を3本まとめて1本とし、なんと3mもあったんです。実際に発掘現場を目の当たりにし、こんな夢のような話が現実だったとすれば、どうやって建てたの?と、また疑問が・・・(詳しくは出雲大社のホームページをご覧下さい)
次の写真が現在の本殿。これは江戸時代の建築です。こちらも大きくて堂々としており、とても立派な本殿です。高さも24mあります。となると、先ほどの古代神殿はこの倍の高さ。想像を絶する大きさだなと想いを馳せながらお参りをしました。
次は松江城。関が原合戦の功により、出雲と隠岐を拝領した堀尾吉晴が慶長12年(1607)から5年かけて築城した天守閣は、均衡の取れた美しい城です。しかし、美しい外観とは裏腹に、内部の柱は矧ぎ木をし、鉄の帯で締め付けられていました。資材の不足による構造上必要な断面形状の維持の為でしょうが、現在の集成柱のような武骨な印象を持ちました。
そして、鳥取の倉吉。ここは土蔵の町として知られています。川沿いに建ち並ぶ土蔵はいずれも焼き杉の羽目板を腰壁に張り、上部は漆喰塗りの伝統的な共通の手法で統一した景観を維持していました。きれいな川の流れと、そこに架かる石橋と土蔵の家並みがなんともいい雰囲気でした。町並みの維持と観光の為に、再生・活用も積極的に行われているようでした。
ここはどうか解りませんが、最近の再生・活用は、表面は残していても中身を壊してしまっているような気がします。
出来る事ならば、肝心要な部分はきっちり残し、後世に解るよう伝えてもらいたいな、などと思いながら歩いていました。
最後に、今回の旅で特に印象的だったのが、大山の麓の岸本町立植田正治写真美術館。鉄筋コンクリート打ち放しのその建物は、アール状の壁面と4つのBOXで構成されたシンプルな建物です。ディテールも同様にシンプルなデザインで、建物内の窓に映す被写体の大山!それは大山を撮(み)るために建てられたかのと思うような、そんな気にさせられました。
まあ、とにかく私のつたない言葉では説明出来ない程、素晴らしい建築でした。
そして、そこに飾られた写真も素晴らしかった事は言うまでもありません。
古代建築から近代建築まで、時間の壁を越えて見て歩いたかのようなこの山陰の旅。
なんかとっても興奮し感動させられ、気持ちの昂ぶったまま、帰途となりました。