旅の十五:「小原宿本陣/相模湖」
今から3年前の平成13年の丁度今ごろ調査した、神奈川県の指定重要文化財である甲州街道小原宿本陣を、今回は紹介いたします。
私の家の前を通っている旧甲州街道の少し江戸寄りに小原宿があります。江戸日本橋から新宿・高井戸・布田・府中・日野・八王子・駒木野・小仏と経て9番目の宿場が小原宿です。現在では神奈川県津久井郡相模湖町にあたります。
小原宿は宿内二町半で、旅籠屋7戸、本陣1戸、脇本陣1戸の西方与瀬宿を通り吉野宿へ継ぐ片継宿場であったとされています。
まず、本陣とは、江戸時代に参勤交代が行われるようになったおり、大名や勅使、公卿、幕使などが街道宿駅で休泊した旅籠屋のことを言います。
小原宿本陣は、桁行13間、梁間7間、4階建ての大きな建物で、平面構成は前面中央よりやや左に、式台・玄関。その左側に控の間・中の間・上段の間 と続き、中の間には鎧床、上段の間には本床を備え、さらに左側に入り側と呼ばれる廻り廊下があり、その外側は築山の庭園があります。庭園には、かやの木の大木がそびえ立っていました。また、入り側の奥には湯殿と厠があり、これらが本陣の機能であります。
次に、玄関の右側半分が住まいの生活空間で、前面右端に広い土間、その奥に囲炉裏のある勝手。土間と玄関の間に15畳の広間、その奥に15畳の茶の間、裏座敷と続きます。
1階の面積は100坪を超え、その上部に養蚕などに使っていた、2・3・4階があり、総面積は200坪以上になります。
建物の構造形式は、兜造りと言って、私にはとっても親しみ深い外観です。と言いますのは、小原宿本陣の兜造りは、甲斐東部を中心に分布した民家の形式だからです。入母屋屋根の変形で、妻側の屋根を切り落とし開口部を設けた、養蚕の発展と共に形成された屋根が特徴です。
上野原にも、かつては 棡原や西原に多く観られたのですが、今ではわずかに残っているだけです。
兜造りは、甲斐東部の富士系兜造りの他、寄棟系や平兜造りなど、屋根を切り落とし、所謂、兜の形に似ている屋根を言い、全国各地の民家に分布しています。
私は、民家建築の中で、この富士系兜造りが一番美しいと思います。その中でも、この小原宿本陣の兜造りは素晴らしいです。
今は屋根が、波型の鉄板で葺かれており、今ひとつ本来の雰囲気が伝わってこないでしょうが、これが茅葺きだったら、もっと美しいだろうなと思います。
しかし、調査したところ兜造り部分の建物右側の屋根は、後からいじられた形跡があり、何時なのか定かではないですが、おそらく養蚕をする為に、左側と同じ入母屋屋根から兜造りに改造したと考えられます。
主である清水家は、 江戸期には本陣として名主などを務めていたのが、明治以降は養蚕をして生計を立てていたのかな?などと勝手に想像しながら実測調査をしたのを思い出します。
建物はかなり傷んでいますので、何時の日か解体修理を行う日が来るでしょう。その時、また何らかの形でかかわれたら嬉しいなと思いながら、前の甲州街道を通る度に眺めています。