旅の百十六:「旧中込学校/長野県佐久市」
このところ洋風建築が続いていますので、引き続き、
擬洋風建築の旧中込学校をご紹介します。
旧中込学校は、長野県佐久市に位置します。
明治7年(1874)に佐久郡下中込村、今井村、河田村の組合立小学校成知学校新校舎の建設が決まり、工事に着手、
明治8年(1875)に竣工しました。設計には地元下中込村
出身の、アメリカで建築を学んだ市川代治郎氏があたられたとされています。また、総工費のほとんどが村民の負担と
村内篤志家の寄付でまかなわれました。竣工の翌年の
明治9年に中込学校と名称を改め、村民からは、当時、
珍しかったガラスが窓に嵌められていたことから『ギヤマン
学校』と呼ばれて親しまれ、大正8年まで使われていた
ようです。その後、中込町役場や公民館などとして使われ、
昭和44年に国の重要文化財に指定されました。
旧中込学校には、二、三年前に耐震診断のための現況実測
調査で訪ねました。木造2階建、外装漆喰塗大壁、寄棟造、
桟瓦葺、八角搭屋付で、桁行20m・梁間12.73m、妻入りの正面玄関にはポーチが突出した、コロニアル様式の
バルコニーが印象的な建物で、八角の搭屋には、当時、
太鼓が吊るされており、時を告げていたようです。外装は
建物の四隅を石造風にデザインし、正面以外の腰壁は
下見板張りとし、それ以外は漆喰塗り。窓は整然と配列されたガラス入りの上げ下げ窓の外部に鎧戸を付けています。
背面の2階中央部と1階の扉にはステンドグラスが付けられています。外見はこのように洋風の造りをしていますが、
小屋組はトラスとかではなく、和小屋で架構されており、
日本人の棟梁が苦心して建てたのだろうな、と想像できます。
明治の初期に、しかも長野の田舎に、このような洋館を
建てて、子供たちに新しい学問を学ばせようとさせた、
村人たちの熱い思いと気概が伺えます。
次回は、ちょうど同じころ山梨にも建てられていた、
旧睦沢学校をご紹介したいと思います。